『陰陽師』といえば舞台やアニメ、映画の主役として描かれることも多いですね。
果たしてあの不思議な世界は実在したのでしょうか?
どんな陰陽師が居たのか?安倍晴明は本当に存在していたのか?
陰陽師の真相と魅力をたっぷりご紹介します!
陰陽師は実在した!何をする人?
陰陽師は実在します!映画やアニメだけじゃないんです!
舞台やアニメ、映画の主役として描かれる陰陽師は不思議な力を使っています。
陰陽道と聞くと魔術のようなイメージになるのは当然です。
実在する陰陽師は何をする人なのか?
本当に不思議な力を使っていたのでしょうか?
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。
天武天皇が壬申の乱の際に自ら栻を取って占うほど天文学や遁甲の達人で、陰陽五行思想にも造詣の深かった事もあり、同天皇4年(676年)に陰陽寮や日本初の占星台を設け、同13年(685年)には「陰陽師」という用語が使い始められる養老律令において、中務省の内局である小寮としての陰陽寮が設置され、神祇官に属する亀甲占いと並んで公的に式占を司った。(中略)
陰陽寮成立当初の方技は、純粋に占筮、地相(現在で言う「風水」的なもの)、天体観測、占星、暦(官暦)の作成、吉日凶日の判断、漏刻(水時計による時刻の管理)のみを職掌としていたため、もっぱら天文観測・暦時の管理・事の吉凶を陰陽五行に基づく理論的な分析によって予言するだけであって、神祇官や僧侶のような宗教的な儀礼(祭儀)や呪術はほとんど行わなかったが、宮中において営繕を行う際の吉日選定や、土地・方角などの吉凶を占うことで遷都の際などに重要な役割を果たした。
引用元:Wikipedia
魔術師というよりは学者?私たちの抱くイメージとは少し違っているかもしれません。
元祖は天文学やら占術に長けていた天武天皇が研究して実践できる場を役所に作ったのが始まり。
陰陽師って公務員だったんですね!
天武天皇が使っていた栻(チョク)は、四角い台座に回る円盤が特徴的な
十干(理につけた順番)十二支(時間)などが彫られた
遁甲(トンコウ=占星術)の道具です。
官職(役人)なのに占い!?と思いがちですが
もともと、陰陽道の元になっている陰陽五行説というのは
自然の摂理を分類して、この世の理を表している思想。
医療も、化学も未発達の平安時代において
天災や飢饉などの可能性を知り備えることは
民を守り、国を守る為には欠かせないことなのです。
天文学としての星をはじめ自然の流れを読むというのは、
大事な政りごとの一つだったと言えます。
陰陽寮は妖術に溢れていたわけではなく。
あくまで、学問の延長で未来予測するのが本来の役割。
中国の四柱推命も帝王学という学問として
皇帝へ受け継がれていたのが始まりなので近しいものを感じます。
陰陽師・安倍晴明とは
陰陽師をモチーフにしたアニメや舞台、漫画は多く
両手両足では全然足りない豊富に描かれる題材の陰陽師。
映画やアニメでは、派手に妖術を使って楽しませてくれますが、
彼は実在する人物なのでしょうか?
延喜21年(921年)に生まれたとされる(安倍晴明神社の社伝では944年)に生まれたとされる。
幼少の頃については確かな記録がないが、後に二大陰陽道宗家となる陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授された、賀茂氏の門下生。
40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられるなど、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことがうかがえる。その後の経歴は記録によって複数の説があるが、天徳4年に内裏火災で焼損した、霊剣鋳造の功労によって官職の陰陽師に任じられ、その後も昇進を重ねて、51歳で天文博士の兼任が認められた。
引用元:Wikipedia
妖術を使うお騒がせ者としてではなく、
安倍晴明は抜群の計算能力があった人という立ち位置で存在してましたね。
統計学とはいえ、データーの扱い方や着眼点は人それぞれ。
晴明は、その先を予知する才覚があったといえます。
勘も洞察力も抜群の「放射線医師」みたいなものかな?
59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行うなど、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになる。
一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになったことが、道長の日記『御堂関白記』などの当時の貴族の日記から覗える。
そのほか、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したため正五位上に叙された。
深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことなどが記されている
引用元:Wikipedia
このあたりはよく知る晴明のイメージに近いですね。
そもそも、お祓いや祈祷など宗教的な事を行っていたのは神職。
お互いの分野は近いようで非なるものだったはずが、
晴明は天狗封じや雨乞い、禊まで行い、結果を出しているのです。
やはり彼には学術を超えて何かを動かす力があったのかも!?
と考え出すと、ロマンが広がっていきます!
安倍晴明の式神は最強「十二神将」
陰陽師の秘術といえば、外しちゃいけないのが式神!
ひらひらとした人型の紙に呪を吹き込むと、紙は別の物へと姿を変えます。
命が宿ったように主人の為に様々な用をこなす存在にまります。
通常、使役されるのは位の低い鬼とか雑妖怪みたいなものと言われています。
しかし安倍晴明は桁違い!!
陰陽師・安倍晴明が使役したという式神に十二神将(十二天将)があり、六壬の「青龍・朱雀・白虎・玄武・勾陳・六合・騰蛇・天后・貴人・大陰・大裳・天空」に由来
引用元:https://kotobank.jp/word/式神-517623
六壬の存在は妖精というか神格に近いと思ってください。
陰陽師が使う式盤(前述した栻のこと)に書かれている星や星座。
その象徴的存在がこの十二神将といわれる六壬の存在。
それを使役するって、どんだけ強いんだか・・・。
セーラームーンが、その他の最強のセーラー戦士全員
有無を言わさず、召使のように使っているイメージです。
陰陽師は実在した!晴明の神社や名所。
安倍晴明といえば、その存在感を知らしめるように名前を聞く縁のある場所も多数です。
有名なところでは、京都にある晴明神社。
陰陽道の護符でもある五芒星や魔除けの桃が祀られています。
長野県の木曽には晴明の墓地があります。
大阪には葛葉稲荷があります。
このように、他の陰陽師とは大きく違い、安倍晴明に由来する場所がたくさんあること。
残されている軌跡を探し、聖地巡りをするのもおもしろそうですね!
晴明は狐の子?
なぜ、晴明にはそんな妖術があるとされたのでしょう?
晴明の出生の秘密につながります。
没落し阿倍野に住んでいた安倍保名は、家名再興のために信太の森を通って聖神社に参詣していた。ある日その森の中で保名は傷ついた白狐を助け、自らもそれが原因で怪我を負う。(中略)怪我をした保名を介抱したのが葛乃葉姫であり、それが縁で二人は結ばれ、童子丸という名の一人の男子をもうけた。 引用元:https://japanmystery.com/osaka/kuzunoha.html
人に変化できるほどに妖力の強い白狐(稲荷神の遣い)、
『葛葉姫』こそが晴明の母と言われています。
所説ありますが、
葛葉姫が晴明に様々な秘術を授けたともいわれていますが
人に化けられる強い妖力のある白狐から産まれたら
そりゃ、鬼も見えるでしょうし、
強い式神を使役できても何の不思議もありませんね。
「道満」登場!陰陽師は安倍晴明だけじゃない
陰陽師は安倍晴明だけではありません!
陰陽寮に所属する一定のレベルに達している人は陰陽師ですが、
晴明の師匠である二人以外に有名な実力者といわれたのが、
晴明の天敵として出てくる『芦屋道満』。
陰陽寮に所属する官職ではありません。
政府非公認なので陰陽師は名乗れませんが
彼もまた陰陽師である晴明に引けを取らない術を使います。
幼少の晴明と呪術勝負をした道満は、勝負に負け、晴明の弟子となったと言われている。
(中略)
遣唐使として派遣され唐の伯道上人のもとで修行をしていた晴明の留守中に晴明の妻とねんごろになり不義密通を始めていた道満が、晴明の唐からの帰国後に伯道上人から授かった書を盗み見て身につけた呪術で晴明との命を賭けた対決に勝利して晴明を殺害するが、第六感で晴明の死を悟った伯道上人が急遽来日して呪術で晴明を蘇生させ道満を斬首。引用元:Wikipedia
様々な物語で、道満はやたら晴明に絡んでくるので
何でだろうとは思っていたのですが
なんちゅう、因縁!!
いや、むしろ怒りたいのは晴明なのでは?
勝手に勝負を吹っ掛けられたあげく逆恨みされて
なんとも卑怯な方法でこの仕打ち。
そりゃ、因縁の相手として不足なく登場させられるわけです。
しかしながら、光の強い晴明に対して、闇の強い道満。
光が強いほどに闇は強くなる。
これもまた、陰陽としては、ある理の姿なのかもしれません。
法師とは本来僧侶のことで
芦屋道満と道満法師は別人ともいう説もありますが
どちらにせよ、強い法力をもつ人と人。
光と闇が入れ替わりながら互いを追いかけあう様は
私には、まさに陰陽図にみえてなりません。
妖よりも怖いのは人の想いそのものとはよく言ったもので
雅さと人の欲が溢れる平安の時代から、
人々の創造力を掻き立ててやまない陰陽師の世界。
これからも色々な舞台で
その世界観を魅せてほしいなと感じています。
コメント