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「耳をすませば」実写がひどいと言われた理由。雫と聖司のその後は閲覧注意なの?

耳をすませば 実写 ひどい その後が閲覧注意  本当にひどい?
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耳をすませば」の実写で「ひどい」その後は閲覧注意」と言われてしまった理由。

「雫と聖司が破局した!?」「浮気!?」とハラハラするシーンが多いから?

いいえ!「耳をすませば」が愛されている物語だったからこそ…な理由もあったんです!




「耳をすませば」実写がひどい?「その後は閲覧注意」な理由

耳をすませばが実写となり、ひどいと言われてしまった理由。

「その後は閲覧注意!」とまで口コミになっていましたね。

私が考察して感じたのは、

視聴(読者)側の想いで観た時に、映画の展開や、結末までのスピード感に理由があると感じました。

実写で「まさか、破局!?」

視聴者側の「あのまま幸せになってほしい」という想いとは裏腹に、

「このまま聖司と雫が破局するのではないか?」と思ってしまった人が多かったのではないでしょうか。

「耳をすませば」と言えば、月刊誌りぼんで不朽の名作と言いたいピュアな物語。

淡い10代の恋心にキュンとなっていた人も多いはず。

しかし、実写化された映画は10年後。20代後半になった雫や聖司の物語です。エアメールで何週間もかからないと言葉も想いも届かない遠距離恋愛の時代。日本とイタリアと言う遠距離だけでなく、環境や向き合う課題の難易度も違います。

お互いに相手をまぶしいと感じ、頑張りすぎてしまったり。

2人の成長の物語としては、とてもわかりやすい恋愛試練がちりばめられています。

聖司に会いに行った雫にイタリア女性が、聖司のことで雫に宣戦布告するシーンなど。

雫でなくてもヒヤリとしてしまう。

ジブリアニメや原作では聖司や雫の気持ちがブレるなんて世界はありませんでしたよね。

それもそのはずです。

だって原作は中学生。

大人から見たらとても若々しくて可愛い、少し背伸びした恋愛の物語でした。

アニメや漫画が「少女時代の青春、未来への展望」を描いていたのだとすれば、

耳をすませばの実写は『人間としての成長』現実的なつまずきを経て成長する部分を強く描いていると思います。

実写化は、いわばアニメや原作漫画にはない世界だって出てきます。

漫画やアニメと実写映画とでは、主軸に来るものが全く違う物語ですよね。

10年と言う月日を経て成長していくとわかっても、頭の中ではそのままピュアな2人。

『中学生だった頃の幸福感』で残したい。

『二人の幸せな未来』を想像しておきたかったともいえますよね。

そう思ってしまうのは、読者側の願望とも言えそうです。

原作漫画の「耳をすませば」が、あまりにもピュアで感動が大きかった作品だったからこそ。

「あの頃の思い出をそのまま、宝物のようにしまっておきたい」

そのままのイメージを残しておきたい気持ち。

わかる気がします。

実写の結末が…

結末は良かったはずなのにアッサリすぎて感情移入が薄れてしまったように思います。

実写版の中~後半までの、重さに比べて結末の展開のひっくり返しはアッサリ。

なんとも中途半端なペース配分に感じてしまいました。

「二人の成長」よりも「恋物語の最高の結末」を見たかった!

という立場で観た時にどうかと問われたら?

前半~中盤まで、あんなにヤキモキしたのに。

その後の展開の速さと結末の即決感といったら!

「あれれ?」と思うくらいアッサリ決まります。

良いんだけど、良いんだけどさ…

聖司の雫に対する、中途半端な言葉や態度にモヤモヤするシーンも結構あって、

『おいおい、聖司くん?』

とツッコミたい気分でした。

痒いところに手が届かないような…

 

ネタバレにはなりますが…。

雫と聖司の結末は破局ではありません!!

ちゃんと落ち着くところに落ち着きます!

なので、気持ち的には「一安心」なのですが。

スッキリ感よりモヤっとしたイメージが強く残ってしまった気がします

『原作やアニメのイメージが大事派』と『成長した新しい2人をみたい派』

どちら側からみても、物語の展開や前後半で物語が進むスピードがしっくりこず…。

私自身も微妙なズレを感じてしまいました。

そのため、幸せなラストになったにも関わらず、「その後が閲覧注意」と言われてしまったのではないでしょうか?



「耳をすませば」実写はひどいと言われてしまった理由

耳をすませばが実写になって「ひどい」という感想や評価が一部でていました。

私は正直なところ、実写版は漫画とは、そもそもが別物にしか感じられなかったのですが、

「ひどい」の感想の多さに理由を調べたところ、3つの大きな理由がわかりました

「耳をすませば」実写はひどい?理由①キャスト・声優

耳をすませばの実写版のキャストで、天沢聖司が高橋一生さんじゃないの!?

と言う声が多数でした。

実写版のキャストは

月島雫役は清野菜名さん。

天沢聖司役は松坂桃李さん。

なぜ、高橋一生さんかと言うと、

ジブリでアニメ映画化された際に、天沢聖司の声優をしていたのが高橋一生さんです。

あのときのイメージが強すぎたのでしょうね。

あとは、個人的な感想からですが、

松坂桃李さんの演技って少年みたいに素直」な表現が多いと感じています。

それはそれで、とても素晴らしい事だとは思っています。

だからこそ、むしろがっつり悩む青年期や努力するシーンが全面に出る役柄の方がピッタリな時期だったと思うのです。

しかし、聖司は原作やアニメでバイオリン職人を目指すことを親に反対されていました。

親に隠れて祖父のところだけで作っていたんです。

あっけらかんとしてみえて、祖父のところでだけ息がつける繊細な顔も持っていました。

味方は「おじいちゃんだけ」だと思っていたことからもわかるように、

聖司はどちらかというと表で爆発させきれない悩みや、しがらみがあるイメージです。

高橋一生さんの演技の雰囲気が、聖司のキャライメージと苦悩の仕方に似てると思ったのです。

飄々とした笑顔をまといながら、後ろには悩みを抱えたような少しのほの暗さをもつ。

そんな高橋さんの演技と聖司のイメージがどこか重なって見えました。

10代の聖司から、そのまま20代の聖司も演じてほしかった。

そう思う人も多かったのかもしれませんね。




「耳をすませば」実写はひどい?理由②ジブリ版との違い

耳をすませばの実写と、ジブリ版との違いは「原作との距離の近さ」だと思います。

ジブリのアニメ化では結構、原作に忠実に思えました。

実写版は、それから10年後の未来の物語です。

もう1つ、ジブリ版では聖司の夢は「バイオリン職人」でした。

実写版の方は「チェロ奏者」に変更されていました。

原作に忠実な未来というよりも、新しい物語として産みされたように感じます。

脚本・監督は平川雄一朗さん。

原作の柊あおい先生は映画化にあたり、新しい切り口に惹かれた興味や、原作者の手を離れている不思議さを話されています。

「耳をすませば」を描いて33年、アニメ映画化から27年。映画を観て育ったスタッフの方々の熱い想いを伺って、「10年後の物語」という新しい切り口に興味を惹かれました。今、新たな実写映画が生まれて、すっかり原作者の手を離れて歩いているキャラクター達が不思議です。けれども、どんな世界を見せてくれるのかドキドキワクワク見守る思いは、やっぱり親なのでしょうね。引用元:映画「耳をすませば」公式サイト

実写化は、原作と違うことが前提で、それも楽しんでほしいとされているように思えました。

ジブリは原作の世界が生きていて、淡くて完全ピュアな中学生の世界。

恥ずかしくなってしまうくらいでした(笑)

実写版は、現実的に立ち向かうであろう苦悩も片影されています。

リアルな成長の物語としてみると、共感する部分が多いように思えます。

逆に、原作のイメージを大事に、夢のある世界や幸せなゴールを見たかった。

そう願う人には、ヤキモキして受け入れにくいと感じてしまったのかもしれませんね。



「耳をすませば」実写はひどい?理由③主題歌

実写の主題歌が「カントリーロード」じゃなかったことに驚いた人、多かったのでは?

映画「耳をすませば」の主題歌は杏さんが歌う「翼をください」でした。

これは、私も驚きました。

耳をすませばと言えばカントリーロード」というくらい定着しています。

当然、SNSでも「カントリー・ロード」がくると予想していた声も多かったです。

なのに、違う曲をあえて選んだ理由は…。

西プロデューサーは「皆さんと同じく『カントリー・ロード』を主題歌にという考えはもちろんありました。ですが、もともとあれはジブリのオリジナルストーリーがあってこその楽曲です。ストーリーが違う以上『カントリー・ロード』にはできない。そこで、どういう音楽なら雫と聖司が自然に好きになれたかと平川(雄一朗)監督と話し合い、合唱コンクールで歌う曲で、かつ歌詞がぴったりな『翼をください』にしました」引用元:シネマトゥデイ

原作からの登場ではなく、ジブリのアニメ化の際に用いられた曲なんですね。

やはり、監督やプロデューサーさんの意向をみても、原作やアニメとは全く違うものと意識されて制作されているのだな強く感じました。

とはいえ、杏さんの歌う「翼をください」はとても美しい!

杏さんの優しくて包み込むような歌声が青空にどんどん広がっていくように感じました。

大人になる手前の思春期。

これから、まだ見ぬ道へと踏み出す雫や聖司にとって、カントリーロードは夢を追う歌。

そして、明るい未来にいる自分が「今の自分」を振り返る歌だと思うのです。

しかし、「翼をください」は違う。

雫たちが大人になり現実で味わうどうにもできない苦しさや壁に打ちひしがれる辛さ。

そのなかで救いを求め、それでも羽ばたこうとする歌でもあると思うのです。

耳をすませばの実写の主題歌としては物語の軸を考えた時。

私は、杏さんの「翼をください」はピッタリだと思いました。

一筋の光のように温かさを感じると思いませんか?




「耳をすませば」実写は本当にひどいのかを考察

耳をすませばの実写について「その後が閲覧注意!」や「ひどい」という感想について検証してきました。

結論、私は楽しめましたし、ひどい!とは思いませんでした。

確かに、淡くピュアな恋と夢を描いた、アニメや原作の世界を、ただ再体験したかった人には

「その後が閲覧注意に感じてしまうかもしれません。

しかし、あらすじからもわかるように、そもそも原作とは全く違う主軸で描かれている物語です。

今と違って携帯もメールもない時代。

懸命に問題と向き合う雫が

『会いたいとき、話を聞いてほしい時にすぐそばにいない』

と呟く切なさは携帯がなかったころを知っている私には共感できました。

離れていても、お互いを支えにしていることも充分に素敵だと思うです。

映画「耳をすませば」実写・あらすじ

読書が大好きで元気いっぱいな中学生の女の子「月島雫」

図書貸出カードでよく見かける名前「天沢聖司」

あるきっかけで”最悪の出会い”を果たした二人だが、聖司に大きな夢があることを知り、次第に惹かれていく雫。(中略)ある日、聖司から夢を叶えるためイタリアに渡ると打ち明けられ、離れ離れになってもそれぞれの夢を追いかけ、また必ず会おうと誓い合う。

それから10年の時が流れた、1998年。
雫は児童書の編集者として出版社で働きながら夢を追い続けていたが、思うようにいかずもがいていた。
もう駄目なのかも知れないー!そんな気持ちが大きくなる度に、遠く離れたイタリアで奮闘する聖司を想い、自分を奮い立たせていた。
一方の聖司も順風満帆ではなかった。
戸惑い、もどかしい日々を送っていたが、聖司にとっての支えも同じく雫であった。
ある日、雫は仕事で大きなミスをしてしまい、仕事か夢のどちらを取るか選択を迫られる。
答えを見つけに向かった先はー。 引用元:映画「耳をすませば」公式サイト

少なくとも、更に数年後の雫や聖司について、どうなったのかは描かれていません。

また、柊あおい先生も耳をすませばの続編『耳をすませば 幸せな時間』を出版されています。

こちらの内容は雫たちが中学3年生で進路を絡めたお話になっていました。

『耳をすませば 幸せな時間』には

猫の恩返しのムタさんも登場!

バロンへの案内役を務めています。

 

猫の恩返しのムタについては別記事で考察しています。
猫の恩返しムタの正体は〇〇!本名やバロンとの関係を考察。

 

原作漫画の続編も、遠い未来の雫たちについては描かれていませんでした。

そこで、破局説を解くのは時期尚早!ではないでしょうか?

大人になれば、様々な壁も体験するでしょう。

中学生の恋愛が、海外との遠距離が…

なんてことを言いだしたら、そもそも論ですよね!笑

あくまで「耳をすませば」の実写は、漫画とは描いている主軸が違う映画です。

あなたも、二人が大人として成長を遂げ、幸せになる未来の序章。

そう、考えて映画を見てみてはいかがでしょうか?

ジブリ版も原作漫画も実写も、それぞれの良さを感じながら、3倍楽しめちゃいますよ!



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