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アーヤと魔女はひどい?大コケ!爆死!と言われた評価は本当か考察!

アーヤと魔女 ひどい 爆死 本当にひどい?
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アーヤと魔女はひどい?

興行収入だけ見ると大コケに見えます。

爆死と言われた評価は本当なのか考察!



アーヤと魔女はひどい?大コケ?爆死な評価理由を考察!共通なのは…

アーヤと魔女を見ると『ひどい』の評価が目に付きます。

大コケ、爆死とも言われてしまった評価理由は大きく3つ。

①興行収入が大赤字(ワースト2位)。

②途中で終わったように感じる物語。

③母親の声優さんの違和感。

それぞれの理由を次の章から順に詳しく考察していきます。

しかし、それぞれの理由を考察していくうちに、私自身は映画の出来の問題じゃないかも。

と感じました。

全てに共通してい見え隠れしたのは中途半端さ。

その、中途半端な部分に人が動かされなかったように感じました。




アーヤと魔女はひどい?興行収入が大コケだった!

興行収入を見ると大コケと言われてしまった理由の1つになっていることは察しがつきます。

アーヤと魔女の興行収入はなんとジブリ作品の中でワースト2位なんです。

アーヤと魔女は、スタジオジブリ作品となり、同社としては初の3DCGによるアニメーション作品。興行収入 3億円 引用元:Wikipedia

興行収入は確かに現実的な物差しと思いがちです。

しかし、実際には映画の人気度や内容の良し悪しとは関係ないんです!

なぜなら、ジブリ作品で有名かつ大人気のトトロやラピュタも興行収入は決して良い方ではないのです。

ではなぜ、興行収入に影響が出たのか?

原因を詳しく考察していきます。

アーヤと魔女の公開で興行収入が低かった原因3つ

公開日程の変更や映画館の時間短縮営業によるもの。②事前にテレビ放送されていた。③今までのジブリとイメージが違った。興行収入というのは、映画館に足を運ぶかどうかであると同時に物販も関わってきます。広告やプロモーション、期間、時期などが関係するのも当たり前だと思いませんか?

コロナによって公開日程が何度も変わってしまったこと。

映画の閉館や時間短縮などが多かったことで、そもそも足を運ばれにくい状況であったことも1つだと思います。

そして、公開の半年以上も前の年末にテレビで簡易版の放送がされてしまっていたこと。

映画とテレビの違いは見るまで分かりません。

一度、みて半年以上何もないまま、時間だけが空いてしまったことで

「(こんな時期でもあるし)もういいかな~」

と映画館にまで足を運ばなくて良い理由になってしまったとも思われます。

更には、私たち視聴側のジブリ作品に対するイメージと違う方向性を感じるものであったことも1つの要因だと感じました。

共感や愛着がわかなければグッズも売れません。

興行収入の低下に拍車をかけてしまったと感じます。

興行収入に関して、

この3つの理由は大打撃ともいえるでしょう。

興行収入というのは、映画館の利用料だけでなく販売されるグッズなども込みで考えられるのが通常です。

興行収入の使い道は製作費はスタッフさんのお給料だけはありません。

どう計算してもこの成績では赤字にしかならないんです…

そりゃ、大コケと言われてしまうかも。

特に、アーヤと魔女はスタジオジブリの初の3DCG作品です。

普段の2Dのアニメーションとは雰囲気もまるで違いますよね。

実は3DCGってとても製作費がかかります。

実は、普段ジブリ作品を作っている2Dの製作陣はすでに別の作品、「君たちはどう生きるか」の制作に取られてしまっていました。

2Dで制作するには手が足りない。

アーヤと魔女は、ほぼ孤児院と魔女の家だけで完結します。

それなら、3DCGでコンパクトに表現出来るのではないか?

ということで、3DCGでの制作が取り入れられたようなんですね。

結果的に、今までとは違うアニメーションの表現や物語の展開に対して、

「なんか、違う…」

という、中途半端なズレを感じてしまったのだと思います。

アニメーションの問題だけではありません。アーヤと魔女を、宮﨑駿の個人事務所を吸収合併してから、初となる記念すべきスタジオジブリ作品のはずでした。アーヤを

過去のジブリの作品と比べてみると…。

絵柄だけではなくストーリーの展開や主人公像が大きく違います。

すでに観た人で、ストーリーにも何となく違和感を感じた人もいるのではないでしょうか?

今までのジブリ作品の主人公たちって、どちらかというと素直ですよね。

悩んだり拗ねたり問題を起こしたとしても根っこは

「良い子、良い人、純粋」

少し不器用というイメージが強いと思います。

しかし、このアーヤはちょっと違います。

知恵は回るし要領も良い。

大人を手玉に取るような、したたかな印象があります。

 

今までのジブリ作品の主人公に魅力を感じていた人。

めげずに頑張る(健気な)主人公像が好き!

という人には共感や愛着がわきにくく、イマイチ受け入れにくかったのかもしれません。

監督:宮崎吾朗
子どもは、未来の可能性そのもの。
子どもたちが自尊心をもって、自分らしく生きていけるように。
柔軟に立ち回り、壁を飛び越えてゆけるような映画を作りたかった。
昔と比べて子どもの数はどんどん減ってきていて、当の子どもたちは一人で大人たちを相手にしないといけない。そんな中アーヤのように、頭を使い機転を利かせて大人を思い通りに〈操る〉ということが、今を生きる子どもたちに対するひとつのモデルになるのでは、と思ったのです。

企画:宮崎駿
アーヤのしたたかさというのは、ずるいということじゃない。
昔はみんな持っていて、なぜか無くしてしまったもの。
こんな時代を生きるために、必要なことなのです。

引用元:cinemas+

確かに現代と昔では子供たちの数も取り巻く環境も大きく違います。

昔も今も色々な個性の子がいました。

変わった子がいても、良くも悪くもそのまま受け入れていた時代。

何か一つの動きに統制され、型で抜いたように整列できることが良いと言われた時代。

今は多様性の言葉で個性を大事にするような風潮の時代だと思います。

生きやすくなる環境が整うのは本当に素晴らしいことだと思っています!

しかし、多様性という言葉がによって逆に生きにくさというものが強くクローズアップされてしまうようにも感じてしまいます。

その世代のなかでどんな自由を選ぶのか、どう生きようとするのか、昔とは全く比べ物にならないのかもしれませんね。

 

映画、とくにジブリアニメとなると、私たち視聴者は楽しむ事や夢を投影しがちです。

そのくらい「ジブリ」の持つイメージって強いと思います。

また魔女という単語が、特に過去の魔女作品を思い起こさせたとも考えられますよね?

自由で冒険的だったり健気な成長物語を無意識にメージして、そっちに期待してしまっていた。

それゆえに、映画の伝えようとしたことにうまく乗っかれなかったのかなとも思いました。

前述したように、作品の深さや面白さ、愛着などは、数字だけでは計ることはできません。

「アーヤと魔女」に込められた監督たちの新しい世代への試み。

是非、そのあたりにフォーカスして改めて観てみてくださいね。




アーヤと魔女はひどい?途中で終わった?

アーヤと魔女をみて、途中で終わったように感じた人もいたようです。

実は、アーヤと魔女は原作自体が途中で終わってしまっているのです。

原作は『ハウルの動く城』の著者でもある、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ。

2011年3月26日死去。 引用元:Wikipedia

企画を担当した宮崎駿へのインタビュー動画では、「僕は劇場長編じゃないといけない宿命を背負わされているから、『アーヤと魔女』を俺がやることはできないだろうと思って、それで後は鈴木さん(鈴木敏夫プロデューサー)に任せたんです」 引用元:cinemas+

もともと、宮崎駿監督が手がける作品はシリーズものや長い原作であるものが多いです。

しかし、アーヤの原作小説は短編。

しかも、完結というには少し早いところで終わってしまっています。

アーヤの成長を見届ける物語ではありません。

むしろ、その過程を描いておわっています。

結末がないと感じたら、宙ぶらりんさにモヤッと感じてしまいますよね。

ハウルの動く城と同じ作者が原作であると考えたら、もっと色々楽しめそうな展開が用意されていそうなのに少し残念という気持ちもありますね。

また、アーヤと魔女は全編通して83分という短さです。

魔女の宅急便は102分、ハウルの動く城は119分です。

比べてみるとかなり短いんです。

それには独特な理由があります。

テレビで子どもが見るのにちょうどいい作品というのを念頭に作られているんです。

ジブリに加えて日本放送協会(NHK)とNHKエンタープライズ(NEP)も製作に加わった関係から、劇場公開に先んじて簡易版ではあるが地上波放送局であるNHK総合テレビにて行われた。引用元:Wikipedia

アーヤと魔女の製作にはNHKとNHKエンタープライズも加わっていました。

つまり、テレビでの放送が前提の作品だったとも言えます。

アーヤと魔女は2021年8月27日劇場公開でした。

劇場公開前の2020年12月にNHK総合テレビで簡易版が放映されています。

私は映画の地上波といったら日本テレビの金曜ロードショーのイメージが強いです。

簡易版とはいえ『まさかNHKで?』と、驚いたのを覚えています。

これらのことから、テレビで見いやすいように作られているということは間違いなさそうです。

言い方を変えると、映画館で映画として見るには物足りない。

つまり、「ひどい、爆死」といわれた評価、

『アーヤと魔女』そのものの評価ではなく、映画としては色々なことが中途半端であり、それが重なってしまったっことの評価のように思います。




アーヤと魔女はひどい?キャスト、母親の声優が…

アーヤと魔女で、キャスト、特に母親の声優さんについての意見が飛び交っていました。

母親の声優は日本語吹き替え版ではシェリナ・ムナフさんが担当しています。

シェリナさんは主題歌も歌われている人です。

吹き替えでは、片言の日本語でたどたどしく聞こえていたのが原因のようでした。

しかし、歌唱力は圧倒的で、他の吹き替えでは流ちょうな日本語を話されているので、アーヤの母親やくは役作り、演出によるものだと言われています。

アーヤは平澤 宏々路(ひらさわ こころ)さんが吹き替えです。

他の登場人物が滑らかに話す中、母親役だけ片言なのは、何の意図があったのかわかりにくいんです。

主題歌に関して、SNSの他の意見をみてみると、

心地よい、素敵だった、良かった。という声が上がっています。

もともと、ミュージカル映画で主演を演じて大ヒットとなったシェリナさん。

実力は持っていらっしゃる方です。

声質などについては高評価な点から察するに、声優として問題なのではなさそうです。

アーヤの母親の声優として、話し方がぎこちないかったのは、演出上のことなのか素なのかがわかりにくかった分、違和感を感じてしまったのだと思います。

アーヤと魔女の主題歌で感じる軽やかで明るい歌声も大好きですし、吐息を含んだように少しかすれたように歌うときの、温かみのある歌声も大好きです。

 

アーヤと魔女は、いままでのスタジオジブリの作品とは少し違います。

ジブリアニメの主人公だって多種多様!

それ以上に、監督たちは柔軟なのかもしれません。

ジブリの器を広げようとしたようにも感じられます。

昔ではなく、今の時代の子供たちが必要な事。

今の子供たちにとっての希望の持ち方。

大人もその変化や現実に目を向けること。

「アーヤと魔女」を通して伝えたかったのではないかとも思うのです。

大人、子供、思春期と世代によって捉え方も違うでしょう。

私たちの固定概念を少し脇に置いて少し視点を変えて観なおしてみませんか?

また違った感じ方や発見ができるかもしれません!

ぜひ、アーヤと魔女という作品の素晴らしさや勇気、ファンタジックな面を感じ取ってみてくださいね!

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