ドラえもんの声といえば、26年間、ドラえもんで居続けた大山のぶ代さん。
明るいキャラクターの陰で、認知症でドラえもんを忘れたり、癌以外の病に悩まされていました。
大山さんの病気や施設での様子、最後の仕事についてまとめました。
大山のぶ代はいつまでドラえもんだった?
大山 のぶ代(おおやま のぶよ)1933年〈昭和8年〉10月16日 – 2024年〈令和6年〉9月29日)は、日本の女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。アクターズ・セブン所属。テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当。 引用元:Wikipedia
大山さんがドラえもんの声を担当していたのは1979年~2005年。
約26年間もドラえもんとして活動されていましたが、病気を理由に惜しくも引退されています。
ドラえもん。と言えば、誰しもが懐かしく大好きだったアニメではないでしょうか?
声優さんの入れ替わりは仕方ないことですが、やっぱり、大山のぶ代さんの世代が一番好き。
大山さんが、約26年間で出演したドラえもんの映画の数は37本!!
ちなみに、これは、テレビ放映されているアニメ以外に出演されている映画の数のみですよ!!
どれだけ、愛されていたのかと同時に多忙すぎたであろう生活も垣間見えます。
「大山のぶ代」死因は老衰/引退理由から死亡まで
『ドラえもん』の声優として知られた大山のぶ代さんが死去https://t.co/Nm94YAKc5a
老衰のため、9月29日に死去。享年90歳 pic.twitter.com/EA2q6IhucZ
— 電ファミニコゲーマー (@denfaminicogame) October 11, 2024
衝撃のニュースが駆け巡りました。
大山さんは、2024年9月29日、享年90歳、死因は老衰でした。
癌や認知症だけでなく脳梗塞や心筋梗塞など大病を続けて患い、ご主人も先に亡くなられています。
その為、施設に入所されていましたが、2024年9月、お亡くなりになりました。
最初の癌での闘病でドラえもんの引退となりました。
しかし、セリフ量などはセーブしつつ、声優自体は続けられていました。
病については次の章で詳しくまとめますが、完全な引退はもっと後になります。
今はデジタルも音源もあるけれど、もう、聞くことは本当にできないのだなと…
改めて寂しく感じました。
追悼:2016年に声優を引退されて8年、大山のぶ代さんの訃報が流れた時。
イラストを見るだけで、あの優し気な困ったようなドラえもんの声が鮮やかに蘇ります。
ご冥福をお祈り致します。
大山のぶ代は病気でドラえもんを忘れたことがあった。
実は、晩年、大山さんは認知症によってドラえもんだったことを忘れてしまっていたようです。
5月15日に都内で会見した砂川は、大山の近況を「今話したことを覚えていない」などと説明。自宅ではテレビ朝日で放送中のアニメ「ドラえもん」を見ていることも明かした。ただ、自身がかつて声を担当していたことを覚えているかどうかは「分からない」と話してた
引用元:スポニチ
当時の私はラジオは聞いてはいませんでしたが、
「徹子の部屋」に出演された時のことや、ご主人の砂川さんの手記は印象に残っています
しかし、忘れてもなお、別の仕事の際にドラえもんの声が混じって演じることもあったそうです。
例え認知症であっても、声優と言えばドラえもんが混じるくらい大山さんの一部だったんですね。
大山のぶ代の病気は1つじゃない!
大山のぶ代さんは、2001年以降は、いくつもの大病を繰り返していました。
大山さんは声優さんとしても大人気で大御所でしたよね。
声優以外にも学校長をつとめたり、お料理の本を出されたりと活躍されてました。
そんな人気絶頂の2001年、直腸がんによって長期入院されることに。
その時はスタッフの協力もあり、ドラえもんの声優だけは続けてくださっていました。
しかし、中々思うように体力が整わない大山さんは2005年3月、降板を決めます。
他の声優さんも一斉に入れ替わったと言うのだから、ドラえもんの役の重さ貴重さが伺えます。
癌以外にも2008年には脳梗塞や心筋梗塞といった症状がが報じられました。
ご自身が校長を務めていた学校で倒れられたのだそうです。
しかし、その後もリハビリや治療を続けながら短い時間で授業を受け持たれていました。
ご本人はもちろん周囲の協力体制も口で言うほど簡単な事ではありません。
しかし、自分の名前にかかる仕事への責任感。
想い入れ、張り合いなどを感じられていたのでしょうね。
大山のぶ代:認知症は何年から?悩んだ日々…
2015年にアルツハイマー型の認知症であると夫の砂川さんにより公表されました。
メディアへの登場は少なめでしたが少しづつ回復されてるのかと思っていた矢先のことでした。
診断自体は、3年前の2012年。
3年間と言う長さは、支える側の人間にとってもきついですよね。
その砂川さんの背中を押したのがウルトラマンの出演で有名な毒蝮三太夫さんというから少し驚き。
公開するかどうか悩みに悩んでの決断と言うことがうかがえました。
結果として、その決断は砂川さんの気持ちを軽くしたんですね。
それから9年。
大山さんは、最期は老衰と言う形で人生の幕を閉じられました。
どこか不安そうな表情で「頑張る」と口にしていた大山さんに寄り添うご主人。
ご主人にも、さまざまな葛藤やためらい、やるせなさもあったと思います。
けれど、インタビューでご主人の砂川さんが言っていた、この言葉。
「今、彼女は完全に子供になっている。やんちゃな娘ができたという感じで愛おしい」
引用元:スポニチ
切なさと温さに胸が熱くなりました。
認知症の後も声優は続けていた
認知症であることを公表した後も、少ないですが出演されたアニメがありました。
【スーパーダンガンロンパ2~さよなら絶望学園~】の製作発表。
この制作発表は最期の出演となった動画です。
たくさんのコメントが上がっていました。
のぶ代さんがドラえもんを忘れても私達は覚えています! 引用元:YouTubeのコメントより抜粋
コメントからも、たくさんの人から愛されていた事が伺えます。
私は、動画を見ながら思わず涙ぐんでしまいました。
大山のぶ代さんは施設で余生を送った
献身的に支えていた砂川さんにも病気が発覚します。
関係者によると、大山さんは砂川さんが自らのがん治療に専念しなければならなくなり、老人介護施設に入所した。当初は簡単な受け答えはでき、ピアノの先生が懐かしい楽曲を弾けば「思い出して大きな声で歌った」 引用元:日刊スポーツ
晩年は施設で過ごされていた大山さん。
2017年、先に天国に向かわれることなったご主人。
自分の亡き後は、マネージャーに大山さんのことを頼んでいたのだそうです。
寂しさはあるかもしれないけれど、決して孤独ではなかったと思います。
きっと、最後まで幸せな想い出を抱えられていたのだ。と願っています。
大山のぶ代のドラえもん最終回は
アニメ放送の最終回「45年後…」が大山さんの担当した最終話といえそうです。
立派な大人になるために、ちゃんとした生活を送ろうと一大決心したのび太。みんなからどうせ3日ぼうずだとバカにされ、すぐにやる気をうしなってしまう。 そんなとき、見知らぬおじさんが親しげに話しかけてきた。おどろいたのび太が「だれ?」とたずねると、おじさんは「45年後のキミだよ」と答えたからビックリ! つまり、そのおじさんこそ、未来ののび太だったのだ。 未来ののび太は、小学生ののび太と1日だけ入れかわりたいという。2人は『いれかえロープ』で体を入れかえるが…!? 引用元:Wikipedia
このお話は、タイムマシンで現代にやってきた45年後ののび太くん。
小学生だった時の自分と入れ替わって一日を過ごすという内容です。
凄く大きな感動や盛り上がるような冒険シーンはありません
それでも、観た後はほこっとした前向きな気持ちになれるのは「ドラえもん」ならでは。
着飾った感じもない普段着のような変わらない感じ。
ドラえもんとしての声優交代、最後を飾るのにふさわしい回だと感じました。
大山のぶ代さん最後の仕事
大山のぶ代さんの最後の声優としての仕事は
【スーパーダンガンロンパ2~さよなら絶望学園~】のモノクマ役。
その制作発表で声明が流れました。
本当にあの懐かしい声が健在で、とても嬉しかった!
(認知症を患われていましたが)収録中もとてもお元気でした! 制作発表インタビューより引用
キュートさ健在で、あまりに等身大そのままでドラえもんじゃないけど、
「ギロッポンでまってるぜ~」のセリフに、私は涙が出てきちゃったのです。
だって、やっぱりどこかドラちゃんを感じてしまったから。
ドラえもんは、誰もが知っていると言っても過言ではない国民的アニメ。
あの独特の声を聴くたびに、色んなシーンが蘇ります。
原作はもちろんですが、たくさんの夢を与えてくださった大山のぶ代さん。
先に天国にいらっしゃるご主人と楽しそうにお話しされていたら良いな。
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