プリデスティネーションで唯一変化しない男、ロバートソン。
ロバートソンの正体や目的は何なのか?
ジョンが呟いた最後のセリフには、切なすぎる願いが込められていた。
ロバートソンの正体を考察!
プリデスティネーションに登場する正体不明のロバートソン。
ロバートソンだけ、どこの時間軸にいても同じ姿で変化していないことに気づいていましたか?。
ロバートソンの正体は誰なのでしょうか?
わかっている事実と仮説の両方から考察します!
ロバートソンの正体をセリフから考察
ロバートソンの正体というのは、明確には出てこないんです。
そこで、まずは、ロバートソンの発言から考察していきましょう。
まず、ロバートソンは捜査員の個人的な状況より組織の成長を重視しているような発言をします。
「ヤツ(犯人)のおかげで組織が成長した。鍛えられた」
と意味深な発言をしていました。
私は、これは伏線なのでは!?と思いました!
ロバートソンは一番、最新の時代から指令を出しにきて、
『(捕まえるのは)そんな簡単なことじゃない』と口走っていました。
あれは、バーテンダーが追いかけている犯人「フィズルボマー」が、バーテンダー自身であることを知っていたからとしか思えません。
赤ちゃん、ジェーン、ジョン、バーテンダーだけではなく、フィズルボマーも全員『同一人物』だと知っていた。
私は、ロバートソンは全ての流れを把握したうえで、誘導しているように見えたんですよね。
そして裏打ちするような重要な一言が!
映画の中盤、ジェーンと出会わせたことを怒るジョンに向かって、バーテンダーは「選択させた」と言いました。
これは分岐点があることを示しています。
同じ状況を準備したとしても、選択により必ず同じ道をたどるとは限らないということですよね。
もし、複数に散らばる回帰のどこかで「別の選択」ができるとしたら?
当然、ちがう未来やシナリオがあったとしてもおかしくないのです。
プリデスティネーションはタイムループ物にしては珍しく、
『どこの時間軸の世界でも、同じ人間が同時に存在できる』世界です。
一人の人物が過去・現在・未来を自由に行き来しながら、どの時間軸でも同時に存在可能。
会話をしたり行動を共にすることもできます。
完全に違う人間と接するように、別の時間軸から来た自分と共存できています。
この点から、実はロバートソンも、ジョンと同一人物なのでは?
という仮説だって成り立ちますよね!
映画で描かれている世界は、ロバートソンとフィズルボマーは「正義と悪」という真逆の立場です。
もし、バーテンダー(ジョン)に、
ロバートソンになるかフィズルボマーになるか?
を、選択する分岐点があったとしたら…。
どちらが消えるか?消されるか?
という選択の過程にあるのが、あの世界なのかもしれません。
ロバートソンの目的は?伏線から正体を考察
ロバートソンは現場職務ではなく本部局員という感じで登場します。
そもそも、ロバートソンはなぜ存在しているのか?
映画から深堀りして、伏線と思えるシーンや彼らの目的からも考察してみます。
ロバートソンは1985年にいる。局の本部だ。
引用:映画プリデスティネーション、ジョンとバーテンダーの会話より
同じ顔のまま、どのシーンでも年を取っていません。映画上、最も最新の1985年を基点に、それぞれの年代に移動してスカウトしたり指令を出していることがわかります。
ロバートソンが最後のタイムスリップをしたバーテンダーに渡した指令を思い出してみましょう。
内容には写真もありましたね。
その写真を見て、バーテンダー(ジョン)はフィズルボマーの正体にうっすら気付いた表情でした。
ロバートソンは組織の成長のためにはフィズルボマーが必要だったと言い切っていました。
組織が成長するにはジョンが時空警察としてフィズルボマーを追いかけ続ける必要があるわけです。
ジョンは他のすべてを捨て「正義」という生きる目的のために必死でした。
自分が追いかけていた犯人が自分だと知ってしまったら、相当に残酷ですよね?
もはや、組織の成長のためだけに、こんな状態を作り出すって…。
と、最初は少々開いた口がふさがりませんでした。
しかし、ふと、ロバートソンの、この在り方は伏線なんじゃないかって気がしたんです。
私はこの映画を何度も見ているんですが、
ロバートソンの目的のためなら手段を択ばないという在り方が主人公と被ったんです。
ロバートソンは時空警察官の上層部でありながら、捜査員を守るための制約に対して
「あんなものなければ検挙率があがる」と言っていました。
また、主人公のジョンは映画の最初の方で、バーテンダーに向かって
生きる目的がほしい。
愛を目的にするより、ぶち壊す方が楽だ
と言っていました。
この二人、「目的のためなら犠牲すら問わない」という狂気じみた強固さが被るんですよね。
バーテンダーがジョンに自分の仕事を引き継がせたときも同様に思えませんか?
私はジェーンの事があるのに(知ってるのに)可哀そうじゃない?と思ってしまうのですが。
だからなんだ?と言わんばかりの進め方で物語は進んでいきます。
そう、この一貫した在り方!
主人公として繋がっている人物に共通する「目的のためなら手段はえらばない強引さ」。
私は、ロバートソンの正体を考察するにあたり重要な考察材料だと思えてならないのです!
私には、この映画は、ループする世界で均衡が崩れるとどうなるかを説いているように感じたんです。
淡々と任務に忠実に動くロバートソン自体もこのループに関わっているのだろうか?
(最初「こいつ人間なのか?」と言う問いすら浮かびましたが。)
一見、ループの外側にいる組織の一員であり、深くは語られていないロバートソン。
まるでストーリーテラーの役割で登場したようにも見えるし、正体が気になりますよね!
私は、ロバートソンの正体は、
どこかの地点で分岐したとき、別の選択をしたジョンのもう1つのキャラクター。
または、精神病(副作用)により乖離して生み出されたジョン(バーテンダー)の未来。
いずれにしても、ジョンとは別人ではなく、同時に存在している延長線上の存在ではないか?
と思っています。
ロバートソンの正体や目的について、あくまで私が感じたことから考察してみました。
さて、あなたは、この仮説どう考えますか?
プリデスティネーション/ロバートソンの正体「最後のセリフ」を考察
私は、この言葉に、全てが集約していると感じます。
お前は難しい選択を迫られ過去を動かす。
未来が変わるかどうかはわからない。
だが、これだけははっきりとわかる。
お前は人生最高の贈り物だ。お前がひどく恋しい。
引用:映画プリデスティネーション、バーテンダーのセリフより
難しい選択とは、自分自身でもあるフィズルボマーを撃つか撃たないか?
それぞれの分岐点で「現在」へと続く選択をするか、しないか?を指していると言えます。
1人だけ特異な体質と宿命を持ち、終わりのない時の輪を巡り続ける自分。
自分を撃つことで、未来が変わるかはわからない。
全てが自分でしかない世界。
たとえ行き着いた未来の自分に絶望しようとも、すべての自分を愛しているのだ。
そう、強く愛を伝えているように思いました。
バーテンダーが、妻でもあり息子や娘でもある自分へ贈った、
父でもあり母でもあり、夫でもある自分からの言葉。
私には、車輪の中でもがき続けながらも、捨てきれない愛の言葉に聞こえました。
ロバートソンの正体/認知症、精神病のリスクがあるのになぜ?
バーテンダーはロバートソンからタイムトラベルのリスクを聞かされます。
タイムトラベルを繰り返すと認知症、精神病のリスクがあること知ります。
なのになぜ、止められてもタイムトラベルを繰り返したのでしょうか?
これが宿命だったんだろう。すべての任務は終点への道しるべとなる。
俺たちにとって、時は特別な意味を持つと気付くだろう。
過去から逃げることはできない。(中略)
俺たちにとって、この仕事は天職だ。
引用:映画プリデスティネーション、バーテンダーのセリフより
バーテンダー(ジョン)が時空を移動する理由は犯罪を未然に防ぐことです。タイムトラベルを利用して犯罪者を消すことで社会の平和を守ることが仕事です。
ジョン(バーテンダー)は、元々は雌雄同体という珍しい完全体をもつ女性でした。
愛した男に裏切られたあげく、出産を境に男性として生きざるを得なくなります。
更に生んだ赤ちゃんが誰かに奪われ、憎しみと絶望でいっぱいでした。
そんな中、憎むことに疲れ、愛よりも生きる目的を見つけたいと願います。
その願いを聞いたバーテンダー(未来のジョン)が「生きる目的」として託したのがこの仕事です。
自分が時空の渦に飲み込まれ続け終わりが見えなくなったジョンには、この仕事しかない。
と思ったのかもしれませんね。
ロバートソンから何度もタイムトラベルを繰り返すと精神に異常をきたす。
と言われていても、やめることなく時間を超え続けていました。
その強靭な精神力が生きるための目的と結びついたのではないでしょうか?
バーテンダーの視点では自分自身の運命や過去を変えることは出来ないと知っています。
けれど、どこかで未来が変わるかもしれないという望みをかけていた。
だから、テープレコーダーをジョンに残したんじゃないでしょうか?。
バーテンダーは、ジョンを生かしたかったのだと思います。
私は、バーテンダーは精神病のリスクを負ってでも、才能を活かすチャンスと生きる目的をジョンに与えたかったんだと思いました。
それは、時間の流れから外れてしまった自分に、唯一届けられる愛だったのかもしれません。
ロバートソンの正体は原作でわかる?
プリデスティネーションは、ロバート・A・ハイラインの短編「輪廻の蛇」が原作です。
原作にはロバートソンの正体と言える明確な記載はありませんでした。
なので、映画の情景やセリフから考察するしかありません。
少なくとも、ロバートソンは危害を加えたり憎しみで動いているようにはみえません。
真意はわからないですが、一筋縄ではわからない「愛や希望」に基づいているように感じます。
なぜなら、ロバート・A・ハイラインは、時空を超える物語を他にも書いています。
わかりにくいんですが、どちらも「愛」がテーマにある小説だといえます。
例えば他の著書である「夏への扉」という小説は、他者との「愛」に対して動き、時を超えます。
プリディスティネーションは、自分だけが登場人物の「愛」を描いています。
相手が自分自身だと分かっていても愛してしまう。
その事実を受け入れながら、憎まれることも受け入れる。
起きうる全ての理屈が究極のエゴイズムに思えます。
ロバートソンの正体は原作でも判断はつきませんが、
何かしらの『歪みの象徴』であることは推察できます。
映画を観た感想
プリデスティネーションのモチーフは蛇。
蛇が尻尾を噛んでくるくると回り続ける輪廻です。
蛇は、輪廻の輪にいることに気付いているのだろうか?
渇望するがまま尾を離せず、苦しむことにも慣れてしまうのだろうか?
私は、この映画でなんともやるせない、人間の執着への末路に似たものを感じました。
『執着とは、正義や愛に見える歪んだ何かが行き着く先』
だんだん、人間が持つ深い欲望を象徴とした物語に思えてきたんですよね。
正義感ですら、本当はエゴイズムでしかないのかもしれません。
原作のタイトルにある「蛇」は執着の表れとしても使われます。
これは単に、愛への執着だけを表現しているのではなさそうです。
終わらせられない「生」または「死」に対する執着と言ってもいいかもしれません。
長い蛇の頭は目の前の尻尾が自分の物とは気が付かず、ひたすらクルクルと追いかけます。
バーテンダーが頭なら、フィズルボマーは尻尾。
ジョンが頭ならジェーンは尻尾。
ジェーンが頭ならバーテンダーは尻尾。
ジョンが頭ならバーテンダーは尻尾。
ジェーンもジョンもバーテンダーも赤ん坊もフィズルボマーも、同じ一匹の蛇です。
「永遠に終わらせられない輪」に執着するしかないなんて地獄でしかなさそう。
どこにも終わりを見出せないのって、怖いと思うんですけどね。
物語りは、フィズルボマーを撃った時間軸で一度、フェードアウトします。
しかし、タイムトラベルを繰り返す「彼」の時間が止まったわけではありません。
終わらない輪廻の流れが続いていくのか?
それとも『選択』によって、『蛇の尻尾』は別の終わりを迎えるのか?
何とも、その後について、想像力をくすぐる映画です!
是非、あなたも、この後の展開を想像する楽しさを味わってみてくださいね!
自分が夫で自分が妻で、生まれた子供も実は自分…
言葉にすると何とも難しく、
混乱しやすいんですよね。笑
別記事で時系列にそって解説しています!
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