ボヘミアンラプソディの映画を考察!
あらすじと歌詞に込められた意味を和訳を使って解説。
音楽の素晴らしさを語るうえで外せないのがフレディマーキュリー。
ヴォーカリストの友人いいわく、自分が自由であるためのバイブルなんだ!
フレディマーキュリーの生涯。
少し意味不明なボヘミアンラプソディの歌詞の意味も考察して解説します。
「ボヘミアンラプソディ」映画を考察!あらすじでわかる歌詞の和訳の意味。
ボヘミアンラプソディは
映画で欠かせないのがタイトルにもなっている名曲です。
音楽の素晴らしさを語るうえで外せないフレディマーキュリー。
フレディマーキュリーの生涯は波乱万丈です。
しかし、ヴォーカリストの友人いいわく
『映画と歌詞を見たらわかる!自分が自由であるためのバイブルなんだ!』そうです。
そこで、和訳の歌詞とボヘミアンラプソディの映画からフレディの半生も考察します。
ボヘミアンラプソディはどんな曲か知っていますか?
これは現実? それとも幻覚?
土砂崩れに飲まれるように、僕は事実から逃れられない目を閉じないで、想像して、僕を見て
僕はただの憐れな少年、だけど同情なんて要らない
気ままに生きているからね、いい事もあれば、嫌な事もあるさ世間の風がどう吹こうと、僕にはどうでもいいのさ、僕には
ママ、僕はあなたが望むような男になれなかった
頭に銃口を当て、引き金を引いたら、アイツは死んだんだママ、人生は始まったばかりなのに
僕は何もかもダメにしてしまったママ、あぁ、あなたを悲しませるつもりはなかったんだ
明日の今頃になって、あなたの知っている僕が帰ってこなくても
今までと変わらず、暮らしていってね、何事もなかったようにもう遅すぎるんだ、自分の気持ちを抑えられない
全身に震えが走る、体中がずっと痛むんださよなら、みんな、自分を偽るのはやめるよ
あなたの期待に背いてしまうけど、僕は本当の気持ちと向き合うよママ、あぁ(世間の風がどう吹こうと)
自分の気持ちを押し殺して、生きていくなんて嫌だ
だから時々考えてしまう、いっそ生まれなきゃよかったって一人の小さな男の影が映る
スカラムーシュ、それは道化を演じる僕、お望みならファンダンゴだって踊るのさ
雷のような非難、本当はとても怖いよ
ブライアン、君はまさに天文学者(ガリレオ)、ジョンやロジャーも優れた尊い人(フィガロ、マグニフィコ)でも僕はただの憐れな少年、誰からも愛されない
「憐れな家庭の憐れな少年よ
奇怪な運命から救ってやろう」気ままに生きているだけの、僕を裁きにかけるんだね?
「神に誓って! お前を見逃すことはできない」
(彼を許してやれ)「神に誓って! 許すことはできない」
(僕を許して)「お前を許しはしない」
(僕を許して)あぁ
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ(あぁ、なんてことだ)なんてことだ、僕を助けて
僕の運命はとんでもない悪魔に憑りつかれているんだ、僕の、僕の運命は!だからお前<僕>は本当の自分を痛めつけ、侮辱しようとするのか?
本当の自分を押し殺し、それでも自分を愛することができるつもりか?あぁ、そうだ、そんな事できるはずないさ、愛する君よ!
本心をさらけ出そう、今すぐ本当の自分を生きるんだ!ちっともたいしたことじゃない、誰だってわかるようになるさ
ちっともたいしたことじゃない
僕にとってはどうでもいいんだ世間の風がどう吹こうが
引用元:https://lyriclist.mrshll129.com/queen-bohemian-rhapsody/
ちょっと見ただけだと、乱暴な歌詞にみえるかもしれませんね。
ボヘミアンラプソディの映画を観てからフレディーマーキュリーになったつもりで読んでみてください。
意味不明と思われた歌詞に込められた深い意味が読めてきます。
まず、タイトルの『ボヘミアン』の意味です。
『社会にとらわれない人々』
『定住せず様々な文化を受け入れる人々』を指しています。
ラプソディは狂詩曲。
自由な編成で織りなされた物語のような音楽のこと。
この曲はオペラとロックの融合で編成されています。
ロックスターにしては珍しいという意味?
…ではありません!
私が感じたのは、どちらも自由を渇望しているということ。
決まった枠組みを超えて融合し、個性になっています。
『社会的な枠組みから抜け出したい』
という願望が込められているように感じます。
形作られている『社会』、求められている『自分』とは違う自分。
その自分に抗い、打ちのめされていくフレディ。
それでも、あきらめることのできない自分の本性。
そんな自分を愛することができるのか?
と自分自身に問いかけているようです。
フレディは、諦めにも近い状態であると感じながら、捨てられない『本来の自分』が勝つんです。
『概念』を手放し、自由を選び生きる覚悟を決めます。
これって、言葉で見るほど簡単なことではありません。
「本当の自分を信じたくないと」と、全部に抗いたい(あらがいたい)フレディ。
死に物狂いの葛藤があったと思うんです。
最終的に、彼は葛藤を手放します。
そして、『ああ、これが自分だ』
『何にも誰にも左右されることはない』
と、知ります。
私は、フレディの変化に、
自分を認め、自分というもので生きていく時、そこには何の壁もないんだ。
と言われているようでした。
フレディマーキュリーは、今ではない未来のために、壁を壊すことにしたようにも感じました。
英語を日本語に直訳しただけなら『物騒な歌詞』で終わってしまいそうです。
でも違うんです!!
タイトルからもわかるように、渇望しているのは自由です。
クイーンとして活動しながら、人気を博しながらも
フレディが望んだ自由は何だったのでしょう?
次は、フレディの望んだ自由が何かを考察します。
映画ボヘミアンラプソディを考察!ボヘミアンラプソディはフレディのカミングアウト!
1991年11月24日、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のため死去。45歳没
1970年4月、フレディはギタリストのブライアン・メイやドラマーのロジャー・テイラーが所属するバンド「スマイル」に加わる。メイやテイラー、それに当時彼らのマネジメントに携わっていたトライデント・スタジオ(英語版)が難色を示したものの、フレディの選んだ「クイーン」を新たなバンド名とした。
このバンド名について、フレディは「間違いなく堂々としているし、響きもいい。それに力強さもあって、どこでも通用するわかりやすいネーミングだ。ゲイを思わせるような名前だとわかってはいたが、それはほんの一面にすぎなかった」と語っている
984年より、ジム・ハットン(1949年 – 2010年)と交際を始め、それ以後死に至るまで約7年の間付き合う。ハットンはその穏やかな性格と純粋な人柄でマーキュリーを温かく見守り、死を迎える最期まで看病に奔走し、付き添った。
引用元:Wikipedia
クイーンは、全員が男性のロックバンドです。
そのため『クイーン』というバンド名をつけることは反対されていました。
それでも、フレディマーキュリーはあきらめませんでした。
制約を飛び越すような力強さ。
強い意志を込めた名前。
なんだと説得し、フレディが名付けました。
クイーンとしての活動は進んで有名になっていきます。
フレディ自身、『当たり前』とは違う自分の状態を自覚していました。
私には『受け入れてほしい。』という願いの投影でもあったように感じます。
フレディは、男女の区別なく『愛した人』でした。
男女に限らず交際していたことがわかっています。
女性との交際も多々あったし、結婚を考えた女性「メアリー」との交際もありました。
しかし、フレディが亡くなる時の、最後の恋人は『ジム・ハットン』男性でした。
フレディの生い立ちは厳格な宗教のもとに始まっています。
今でこそ【LGBTQ】という言葉や、多様性として認知度も上がりましたが、70、80年代といえば固い時代。
当時、女性だけでなく、男性も愛せるということは、相当に深い悩みだっただろうな…と思います。
社会的に求められるものの重圧や、世間の目も厳しかった時代。
本人も周囲も、すんなり受け入れることは難しかったでしょうね。
改めて歌詞を見直してみてください。
感じていた葛藤がよくわかると思いませんか?
フレディの欲しかった自由は、
愛とか、名声といった『形』ではなさそうですよね。
フレディは、もっと根源にある想いを、相手にだけでなく自分自身にも叫んでいたのかもしれません。
全てに偽る必要のない、心の柵を取り払いたい。
社会、宗教、ルール、概念を超えて生きたい想い。
私には、赦しにも似た、解放への渇望だったのではないかと、思えてならないのです。
映画ボヘミアンラプソディを考察!フレディーマーキュリーがすごい3つ理由
ボヘミアンラプソディの主人公であるフレディマーキュリー。
クイーンが伝説のバンドといわれるのに欠かせない存在です。
フレディーが『すごい』と言われた3つの理由を考察します!
彼の作曲の大きな特徴は、ロカビリー、プログレッシブ・ロック、ヘヴィメタル、ゴスペル、ディスコを含む、広いジャンルで作曲している。1986年のインタビューでは、「私は再び同じ事をするのを嫌っている。音楽、映画、演劇において、今何が起こっているのかを確かめ、それら全てを取り入れることが好きなんだ」と説明
デヴィッド・ボウイは、フレディのパフォーマンスについて、「演劇的なロックパフォーマンスを見せるアーティストの中でも、フレディは破格の存在で、型破りだった。(中略)彼は間違いなく、観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だった」と賞賛している[25]。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、フレディについて「スタジアムの最後列にいる最後の一人まで、彼と繋がっているように感じさせることができる」人物だったと書いている
引用元:Wikipedia
すごい理由① 声質の美しさと歌唱力
クイーンはショップのジャンルでみると、ロックに分類されています。
ロック歌手は声の限り叫んで喉をつぶしたような歌い方をする方が多いですね。
比べてみるとフレディの歌い方はとても綺麗です。
皆を魅了する美しい声とハイトーンボイスは、4オクターブを出せたともいわれています。
すごい理由② 骨格にも恵まれた音楽の神に愛された顔の形
フレディマーキュリーの顔の形はしっかりとした四角形の骨格です。
音楽をやっている友人から、歌い手が声を響かせるときの体の使い方がとても重要なのだと聞きました。
フレディの顔の形や喉の使い方は、人でありながら楽器のようです。
楽器のように音を響かせ、自在に操っているのですね!
すごい理由③ 確かな実力と周囲を惹きつけるカリスマ性
幼少期からピアノやギターを習っていて音楽に精通しており、
様々な音楽様式に限定されない広い感覚の持ち主だったことがうかがえます。
フレディのステージは、観客の最後の一人まで一体感を感じるように作り上げられていました。
人を惹きつけるパフォーマンス力、魅了する輝きがありました。
フレディに備わっていたカリスマ性なのでしょうね。
「ボヘミアンラプソディ」映画を考察!あらすじと感想をネタバレありで。
ボヘミアンラプソディのあらすじもまとめました!
ネタバレが含まれた感想になっています。
世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ
引用元:https://eiga.com/movie/89230/
フレディがロンドンのライブハウスで、家族とも呼べるバンドの物語。
重要な出会いになる女性との運命的な出会いについても書かれています。
伝説といわれるステージに至る、葛藤、音楽、愛の形を描いた映画です。
結婚を意識した女性とのエピソードもあります。
バンドメンバーと出会った、同じ時に出会い、運命的なものを感じた女性、メアリー。
バンドの成長や、メアリーと結婚を意識する中で、フレディは自分の中の違和感に気付きます。
バンド内にも亀裂が走り始め、様々な決別を体験するフレディ。
ぬぐい切れない寂しさから自暴自棄になっていきます。
感動なのは、最後のライブにつながるシーン。
フレディマーキュリーはHIV感染による肺炎で亡くなっています。
自分が病気であることを知ったフレディ。
残りの人生を『クイーン』に全力を注ぐと決めます。
バンドのメンバーと和解しながら大舞台に向かう姿が描かれています。
バンドのメンバーはもちろん。
メアリーは恋愛以外でもフレディにとって運命的でした。
重要な人であったことは間違いありません。
私も、メアリーなくして伝説のステージにたどり着くことはなかったと思います。
映画中に使われている音源や、ステージの様子は実際のものを使用して臨場感もたっぷり!
フレディの生涯を通して語られた素晴らしいステージ。
成功の裏側にある、人間の枠組み、自由への葛藤や苦悩。
形は違っても、日常を生きる私たちにも、葛藤や悩みがあります。
心を動かされるものがあるのではないでしょうか?
このボヘミアンラプソディには、ただの音楽映画で終わらないドラマが描かれています。
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