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「HOLIC」映画はひどい?意味不明といわれる理由は何か?

本当にひどい?
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映画『ホリック xxxHOLiC』はCLAMPさん原作の実写化映画です。観た感想で「ひどい、意味不明」と思われた方もいたようです。理由は映画の世界観と原作にあり?両方を見比べた考察にそって、なぜなのか解説していきます!

「HOLIC」映画はひどい?意味不明といわれる理由は何か?映画の世界観のズレと理解が難しい。

映画『ホリック xxxHOLiC』(以下、HOLIC)がひどい!

意味不明といわれた理由を考えてみました。

そのひとつにあるのが、『世界観』ではないでしょうか?

映画HOLICの監督は蜷川実花さんです。

艶やかで華やかなビジュアルが印象的だ。本作でも、セットから衣装や小物に至るまで、全てが絢爛豪華な雰囲気をまとっている。

原作の刊行当初から、圧倒的なビジュアルの美しさと「何かを欲したら“対価”が必要である」という思想に惚れ込み、すぐに映画化に動き出したという。(中略)脚本の開発は想像以上に難航し、10年の歳月を要することになった。蜷川監督の強い思い入れとこだわりがつまった作品に期待が高まる。 引用元:映画.com

監督自らの思い入れとこだわりが強いという点に加え、ご本人がアーティストです。

「蜷川さんの作品を見たら、即思い浮かぶのではないか?」

と思うくらいアーティストとしての個性も強めだと思います。

映画は「HOLICワールド」というより、むしろ『蜷川実花』ワールドが全開。

監督の色がかなり強いと感じました。

原作はかなり独特な世界観があります。

CLAMPさんの作品は、HOLICに限らず、そのオーラのようなものに惹かれてファンになっている方が多いと感じます。

HOLICの世界観に惚れ込んでいる人にしてみると違いは気になるところ。

ですが、

蜷川実花作品は内容より映像を楽しむために毎回見るけどもう目が幸せ 引用元:Filmarks感想

といった映像を楽しんでおられる感想も、多く見られました。彼女の明暗のハッキリした『多色』とは違う『強さ』による極彩色。

それはまた、一つの表現、展開される世界感として素晴らしいと思います

逆を言えば、蜷川実花さんの世界が好きな人には、たまらない作品なのではないかと思います。



「HOLIC」映画はひどい?意味不明といわれる理由は何か?アレンジしすぎ?展開のスピードがもったいない。

映画化は、一部分を切り出しているのかと思っていました。

実際には15巻分までが詰め込まれています。

原作は現在19巻まで単行本がでていて、いくつかの章に分かれて物語が展開していきます。

そのほとんどの部分をたった110分に詰め込んでしまったわけです。

1本に完成させるには、ちょっと無理があるのではないかと思いました。

原作も蜷川実花さんの作る映像も神木くんも好きなので最後まで見れたけど、これ普通に見て意味わかるの…?と疑問になった。

衣装がきらびやかでよい。しかしやはりCLAMP作品は10万時間くらいの尺にしてもらわないと納得できない気がするな

引用元:Filmarks感想

実際には十数巻ある漫画の内容を盛り込みすぎてしまったことで、逆に展開を早めくなり、伏線が拾い切れず、もったいないと感じることも。磯村勇斗さん演じる赤蜘蛛など、原作にはないオリジナルのキャラクターも登場します。

 

『誰これ?』『なんでこうなるの?』

ファンの方は原作マンガを読み込んでいるので把握できますが、原作を読んだことがない人や、ほとんど知らない人には、物語の展開がわからず理解が難しいかもしれません。

しかし、漫画をそのままではなく、舞台など違う視点で観ることで印象はガラリと変わります。

逆にテンポの良さや映像美が生きてきます。

映画HOLICからうける鮮やかな光と暗の対比。

流れの中からつかんでいくことの面白さを感じることは実写映画を観るうえでの一つの魅力になるのではないかと思います。



「holic」映画はひどい?意味不明といわれる理由は何か?女郎蜘蛛の悪女っぷり。

女郎蜘蛛が強烈すぎ!!

まさか、吉岡里帆さんが演じるとは思いませんでした。

肝心の右目を飲み込むシーンも原作とは違います。

神木隆之介さん演じる主人公の四月一日(わたぬき)が、自己犠牲の身勝手さに気が付くシーン。

気付くのは良いのですが、本来ならば座敷童ちゃんが絡んでくるところ。

ここに、無理やりな感じが・・・。

座敷童の出番は、映画中では、全然違うシーンです。

プレゼントをもらって四月一日(わたぬき)君がデレデレした1カットのみ?

たぶんこれが座敷童ちゃんだよね?で終わってしまったのが残念。

 

私にとって、吉岡さんは女郎蜘蛛のイメージではありませんでした。

どちらかというとマルとかモロみたいな天然キャラのイメージだったんです。

金髪にボンテージファッションで出てきた時の強烈さに二度見。笑

原作のネタに少し触れますが、

前半にでてくる女郎蜘蛛は強くてしたたか、妖艶キャラです。

ずる賢いけど、どこかあっけらかんとしたヌケがあります。

そして、原作の後半では、素直さ、一途さがみえてきます。

ツンデレ具合(?)や、八尾比丘尼を守ろうとする女郎蜘蛛の一途さ。

やり方は、多々問題はありますが。

その純粋さを知っていたからこそ、映画での女郎蜘蛛のラストの空しい暴れっぷりが切なかったです。

 

純粋な黒という表現は変ですが、正直すぎるほどに、全ての欲求に真っすぐで一途な妖しの姿。

欲を隠し持ちながら、けん制しあう人間の世の中を見たときに。

妖(あやかし)がではなく、人間のほうがよっぽど黒いかもしれない。

そんな風に考えさせられました。



映画のホリックはひどい?意味不明といわれる理由は何か?侑子の正体は母親?四月一日(わたぬき)のこれからはどうなる?

侑子さんは何者なのか?

柴咲コウさん演じる「願いをかなえるミセ」の店主、壱原侑子。

原作を知らないままで、映画見ると一瞬混乱するかもしれない場面がありました。

四月一日(わたぬき)は小さいころ、妖が見えていることがきっかけで、母親と交通事故に巻き込まれます。

それが『自己犠牲の身勝手さ』という、この映画の物語の構成につながっています。

四月一日が母親との記憶を走馬灯のように思い出しているときに

母親を見て『侑子さん…?』と呟きます。

侑子さんは母親の想いが具現化した姿なのか?

と思ってしまいそうですが。

厳密にいうと少し違います。

四月一日は、クロウという魔術師の血筋である小狼(しゃおろん)の半身として描かれます。

侑子さんの正体は次元の魔女。

クロウが『消えずに残ってほしい』と強く思ったことで、亡くなることも輪廻することもできず、時空のはざまに留められてしまった存在。

どんな形であれ、クロウが強く愛した女性が侑子さんです。

まだ、未覚醒である四月一日も、クロウ同様、侑子さんへの強い想いがありますね。

HOLICはCLAMPさんの作品において他の物語とも密接にかかわってきます。

様々な時空が交錯する物語なので、お腹から生まれたかどうかで判断しようとするとわからなくなります。

『魂の繋がりが強い存在』と表現するのが、一番しっくりきます。

侑子さんが消えてしまったことで、四月一日や、店はこれからどうなるのでしょう。

四月一日は侑子さんを待ち続けることを選びます。

自分の時間を留め、店の中で人の願いを叶え続けるという対価を差し出したのです。

 

『お前が選んだ選択ならそれでいい』

といった百目鬼くんの揺らがなさと寄り添い方に心が震えました。

諭そうとする人は数多くいるけれど、

本人の選択を全力で尊重すること、それもまた選択。

そこには信頼感と強い絆がなければ、できることではありません。

 

私が感じた映画のラストの感想は少し変わっているかもしれません。笑

映画のすべての色彩も吹っ飛ぶほどに『ヒトの想いの強さ』を感じた物語でありました。

二人には、後悔なく想い尽きるまで、その選択を信じ切ってほしいと願わせるラストでした。

 

 

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