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「そしてバトンは渡された」は実話?映画はひどい?梨花の病気も考察!

あったか映画
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「そしてバトンは渡された」は実話なのでしょうか?

映画がひどいと言われてしまった理由。

梨花の病気にについても

色々な角度で考察してみました!

 

「そしてバトンは渡された」は実話?

原作は同名の大人気小説です。

あまりにもリアルで、引き込まれるヒューマンストーリーなので

『これ、実話なんじゃないの?』と思った方もいるのではないでしょうか?

結論から言うと【そして、バトンは渡された】は実話ではありません。

しかし、この物語のベースにある【血は繋がりとは関係ない、深い愛情】というのは、作者の瀬尾さんが、実際に感じられたことが関係しているようです。

瀬尾さんはかつて教師をされていました。

家族みたいになれていたかどうかは分かりませんが、私には今、娘がいるんですけど、娘に対する愛情と、自分が担任していた生徒に対する愛情はほぼ同じなので、血の繋がりって子どもを思う気持ちに関しては関係ないかなと思います (引用元:otocoto)

30歳のときに京都府の中学校教員採用試験に合格。2005年から2011年に退職するまでは中学校で国語教諭として勤務する傍ら執筆活動を行なっていた(引用元:Wikipedia)

原作者の瀬尾さんは、担任をしていた時に

生徒に対する愛情』と『自分の娘に感じる愛情』は、ほぼ同じだった。

と、インタビューで語られています。

お話自体はフィクションであることが分かりますが、

『血縁に関係なく家族のように大事に思う関係性や、子供に対する愛情の感じ方』

これは、瀬尾さんの体験によるものも大きいのかもしれませんね。



「そしてバトンは渡された」は実話?原作と違う?3つの考察

そしてもう一つ、話題になっていたのが、映画と原作の違いです!

どこが違うのか比較してみます!

 

映画と原作の違い①:優子の呼び名

映画では幼い頃の優子は養の梨花や実父の水戸から「みぃたん」と呼ばれています。

それは「みぃみぃ泣いてばかりいたから。」という、愛情ゆえの理由で梨花が付けた呼び名です。

しかし、原作では"みぃたん"とは呼ばれていません。

なぜかを考えた時に、私は、映画は尺が短い分、梨花の優子に対する強い愛情をどこまで前半で描ききれるかが大事になってくると思いました。

そこで『泣き顔すらも可愛くて仕方ない』

という梨花の想いを強調するようなエピソードとして付け加えられたのではないかと思っています。

 

映画と原作の違い②:優子は実父の手紙を読んでない

幼い頃に海外転勤がきっかけで梨花と離婚した実の父親の水戸。

みぃたんも水戸も、本当はお互いに手紙を送り続けていました。

しかし、みぃたんを取られるのが怖かった梨花は、両方の手紙を隠し続けていました。

映画では、大人になった優子と水戸へ、それぞれへの手紙が入った箱を送り、優子は手紙を読むことができます。

しかし、原作では優子は手紙を読んでいないんです。

 

映画と原作の違い③:梨花が生きている!

これが一番大きな違いです!!

映画では優子に何も知らされず梨花はひっそりと亡くなります。

しかし、原作では梨花は生きています!

優子の結婚式のシーンで、梨花が母親として結婚式に出席している様子が書かれています。

いやいや!ここは違っちゃダメでしょ!

私的には、一番、突っ込みたいところです。

そう思いませんか?

私は、この物語、母と父と子、血のつながりを超えた感動を描いているのはもちろん感じます。

それだけでなく「エゴ」すら、ぶっ飛ばす「愛」を紙一重で書いているストーリだとも思いました。

映画という短い尺の中に小説にある膨大な背景や情報を詰め込むのに、無理があるのは仕方ないのかもしれませんが。

それでも、ラストシーンに向かって、一番、引っ掻き回した重要な人物の生死。

これだけ、大きな違いはどうなんだろう…

違う作品として見るのと、原作主体の作品として観るのとでは、感想も違いますよね。

原作との違いにガッカリしてしまった。

と、観た人が思ってしまうのも無理はないのかもしれませんね。

 

私は、観た人ががっかりしてしまった理由は、

バトンを渡すという未来への希望はともかく

『梨花との過去が未来に繋がらず、皆で笑顔になることが叶わなかった』からだと思いました。

亡くなったことで、一見キレイにまとまったように見えます。

私は「愛とエゴ」から、本当に皆が笑顔の「愛」になる瞬間を変えないでほしかったなぁ、とも思ったのです。

しかし、監督には少し違った思いがあったようです。

 

「そしてバトンは渡された」は実話?監督が結末を変えた理由を考察

なぜ、結末の大事な部分がこんなに違うの?

って思いますよね?

監督がインタビューでこんなことを語られていました。

本来、子どもは宝であり、周りの人たちから慈しまれ、護られ、無条件に親から愛される存在のはずです。本作は、人が人と生きることの本質と、親であること、子であることの核心を突いていて、暗澹たる子どもの事件が多発する現在、そして、未来に向けて、必要とされている物語であります。希望を物語るのではなく、この風変わりな「家族の物語」そのものが、希望であると信じています。 (引用元:RealSound インタビュー記事)

監督が描きたかったのは、希望を語る物語ではなかったのですね。

子供にとってただ必要とされている存在、愛されている存在』だと感じられる場所があること。

かつては当たり前に存在していた子供への慈しみ。

監督は、血縁に関係なく「子供にむけられる慈しみ」を感じることが少ない世の中になってしまったと感じられていたのかもしれません。

そうすればすべて納得いきますね。

ただ幸せに終わる物語や、ただ涙で終わる物語を書きたかったのではないのでしょう。

どんな状況でも、子供は愛されている。

血縁に限らず、作っていくことができる繋がり。

その表現うをしたかったのかもしれません。

 

それを踏まえた上で、私は

実在の有無も血縁も関係なく育つ、強い愛情の物語として見たいなら映画を。

笑顔で皆が揃う幸せを感じたいなら原作小説がおすすめ。だと思います。

どちらも、素敵な物語です。

ラストシーンで味わいたい気持ちを選べるのは、ある意味オイシイのかもしれません!



「そしてバトンは渡された」は実話?映画はひどい?ひどいと言われた理由!

まず、一番は原作との違いによるものという理由が大きそうですね。

映画「そして、バトンは渡された」は、まとめとも言える一番のシーンが原作とは異なったため、

原作からのファンの一部から

『ガッカリした』

『楽しみだったのにひどい』

という声が上がってしまったのでしょうね。

私自身は原作を見ずに映画を見たこともあり、映画として感動した一人です。

そこは、十人十色、感じ方も、重きを置きたい場所も様々です。

原作を読み込んでいる小説ファンの意見としたら、感動とは別の「物足りなさ」もあるように感じました。

確かに、原作は現実味を追求した内容が多いです。

また皆が揃うという幸福感を中心に描かれているように感じます。

しかし、映画では、現実味を上回るストーリー性があります。

深いところに訴える「子供にとって在るべき場所」を表現しています。

私は、どちらもとても素敵だと感じました。

 

原作ファンは、好きであればあるほど、原作に自分の世界を重ねて描きます。

それは、どんな映画やアニメでも同じです。

好きだからこそ、抱いたイメージや幸福感と比べて、どこかやるせない気持ちが出てきてしまうのも理解できますね。



「そしてバトンは渡された」は実話?梨花の病気は何?

【そして、バトンは渡された】の中でも、キーマンとなる梨花。

映画の中で最後、梨花は病気が原因で亡くなってしまう様子が描かれています。

実は映画の中でも原作の中でも、病名についてははっきりと語られていません。

梨花の病名がわかりそうな描写を見つけて推測してみました。

①子供が産めない体
②海外に行きたくない
③やせ細ってダイエットとごまかす姿
④帽子とスカーフで頭を隠している

この4つがポイントと言えそうです。

①子供が産めないということは婦人科系の病気があったこと、もしくは産める機能を失ってしまっていることが推測できます。

②海外に行きたくないは、体力の問題もですがいざとなった時に手術や病院での対応がままならないとこを心配しているのだと推測できます。

③④は、心配されるほど、やせ細っていき、帽子とスカーフで頭を隠しているということであり、抗がん剤などの強い副作用があることを推測できますね。

つまり、梨花の病気は、婦人系に由来したガンではないかと推測できます。

 

【映画だけでなく原作も視野に入れた考察】

原作では亡くなっていないため、原作と映画とでは進行が違うかもしれませんね。

優子との大事な約束があったから、優子に知られないために姿を消し、森宮ではなく、泉ヶ原に頼って、日本での高度治療で延命につなげたのかもしれません。

 

いずれにせよ、いつも明るい梨花。

優子に愛情をいっぱい注いでいる姿が描かれています。

梨花は実の母親ではないけれど、血の繋がりなんて関係ないほど無償の愛を優子に注いでいます。

しかし、そんな梨花が、優子についた嘘がありました。

次の章では、梨花の秘密と優しい嘘について考察します。



「そしてバトンは渡された」は実話?秘密と嘘。理由も考察

梨花が、秘密を抱えながら嘘をつく様子が描かれていました。

自分が病気であることを隠し、ひどい奔放な女に見せかけたことです。

梨花が、1人で秘密を抱え、嘘をついた理由。

それは、梨花にとって優子が何より大事だったからなんです。

優子が小さかったころ、生まれてすぐに母親を亡くした優子に

「ママは死なないでね」と言われたことが深く梨花の心に残っていました。

優子からもう二度と母親を奪ってはいけない。

その強い想いから、梨花は病気であることをひた隠しにしていました。

『奔放な女』を演じていたのだ。

ということが、優子に黙って亡くなった時に理解できました。

優子には、母親の梨花が「どこかで生きている」と思っててもらいたかったのでしょう。

 

梨花は3人の男性と次々に、結婚と離婚をくりかえしています。

そこだけ切り取れば、なんとも波乱万丈で母親としてはどうなの?と思われがちです。

私も最初、あらすじの梨花の行動だけを聞いたとき

『ええ~!!なんて自分勝手な』

『母親なのに!?』

とモヤモヤしてしまいました。

しかし、実際にそこにあったのは、ただ1つ。

強い愛情だったんだ!とわかりました。

子どもは欲しかったけど、子供が産めない体の梨花。

水戸と結婚し、優子という愛娘が出来ました。

やっと出会えた愛娘には、なんの苦労もさせたくない。

ただ、幸せに生きて欲しいと願う梨花。

色んな男性と結婚したのも、病気で弱っていく自分を隠したのも、優子の為でした。

愛する娘の優子にまで嘘をつきながら、1人で頑張ることはどれだけ、きつかったでしょう。

それでも、優子の幸せだけを考えて、自分にできる最大限のサポートが「結婚」だったのでしょう。

自分が一人で耐えなければならない苦しさ。

優子に嘘をつく罪悪感。

そんなことより優子の笑顔を守ること

ただ、それだけだったのでしょうね。

 

本当は、もっと優子からの愛も信頼してよかったんじゃないか。

自分が育てた娘の強さをもっと信頼してほしかった。

私は、そんな、きれいごとのような考えも浮かびました。

同時に、人間はそんなに強く離れない。

まして、一度母親を失くしている娘に対してなのだから。

そんな思いもわいてきました。

誰だって、同じことを選ぶかもしれない。

そう思うと、考えるだけで苦しくなりますよね…。

 

結婚と離婚を繰り返し、自由奔放で未熟な女性という印象をうけやすい梨花。

映画から読み取れたのは、とても大きな愛情をもつ強い母親像でした。

梨花が優子につき続けた嘘と秘密は、とてつもなく大きく深い母の愛だったんですね。

コメント

  1. サトウ より:

    梨花からもう二度と母親を…と、優子は病気であることをひた隠しに…と、途中で梨花と優子が入れ替わってます。

    私は映画しか観ていませんが、最後にそうだったのかと繋がった時はびっくりと感動とが同時にきました。

    • kamome kamome より:

      コメントとご指摘ありがとうございます!
      修正いたしました。
      この物語の点と点が繋がった時、本当に感動しますよね。
      ありがとうございました!

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