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八日目の蝉は実話?その後や「お詫びの言葉もありません」の意味を考察。

本当はどうなる?隠れた意味
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「八日目の蝉」は実話をもとにした小説が原作です。

その後どうなったのか?

希和子が言った「お詫びの言葉もありません」の意味も考察していきます。



八日目の蝉は実話!その後どうなったのか?ネタバレ感想

八日目の蝉は実話が元になった小説が原作です。

ただし、全部が実話なわけではありません。

1993年(平成5年)12月に発生した日野OL不倫放火殺人事件が本作のヒントになっている。引用元:Wikipedia

1993年12月に実際に起こった事件。「日野OL不倫放火殺人事件」をもとに角田光代さんが小説化。

その後、映画化を経てドラマ化もされました。

実際の事件とは結末も流れも違っています。

映画では、正妻の子供を誘拐して愛人であった自分が育てるというストーリーです。

しかし、実際の事件では正妻の2人のお子さんは放火によって亡くなっています。

実話が元にはなっていますが、そのままの物語(ノンフィクション)というわけではありません。

では、それぞれの「その後」がどうなっているのかをまとめていきます。

映画のその後:居場所はなぜバレた?

映画のその後について、永作博美演じる主人公の希和子と恵理菜の居場所が、なぜバレたのかについても解説します。

誘拐事件から約4年の月日がたったある日。

島のお祭りのに参加した希和子と恵理菜。

あまりに楽しそうに仲良くいたため、その写真が撮られ、新聞の全国紙に掲載されてしまいます。

その写真がキッカケとなり、希和子たちの居所がバレてしまいます。

事態は急展開、希和子は逮捕され、実刑となります。

恵理菜は親もとへと戻されます。

しかし、空白の時間をなかなか受け入れられない恵理菜は、本当の両親(秋山夫妻)にも馴染むことができない。

本当の母親だと信じていた希和子は誘拐犯だった。

自分の存在を見失ってしまった恵理菜は、自身ももまた、同じ過ちを犯してしまいます。

しかし、小池栄子演じる千草によって「母の愛」を思い出し、葛藤を感じながらも、少しづつ自分を取り戻していきます。

実話のその後

女性は無期懲役となり、2024年現在も服役しています。

裁判では賠償金の支払いにより和解したと報じられました。

ご夫婦の関係性も続いているそうです。

 

映画での希和子(不倫相手)と丈博(夫)恵津子(正妻)の関係性。

「妻と別れる」と言いながら離婚しなかったこと。

夫の不倫を知った妻が相手の女性を強くののしるなどの展開も同じ。

中絶手術まで受けていた女性

異なるのは、女性が復讐心から相手夫婦の自宅に火を放ってしまったこと。

女性(=A)の無期懲役が確定した。
夫妻(=B)が子供2人を殺害されたことに関してAに損害賠償を求めた裁判では、Aの両親がB夫妻に1500万円を賠償金として支払ったことに加えAがB夫妻に3000万円の賠償金を支払うことで和解が成立した。引用元:Wikipedia

しかしながら、何とも釈然としません。

誰が悪かったのか、何が悪かったのか?

と聞かれれば、お子さんを除いて、全員が被害者であり加害者でもあるように感じるのです。

実際の事件は相当に痛ましい事件でした。

生まれてこれなかったお子さんも、亡くなられたお子さんも、犠牲となってしまったことだけが、ただ痛ましかったです。

怒りや執着の関係性ではなく、親が子を大事に思うように「自分を大切」にできたら、結果は違ったのだろうか?

もしかしたら、角田さんも同様に感じられたのではないか?

「母性」をテーマに入れ、問いかけたのではないか?

そんな風に思えたのです。

どこかで「母としての強さ」を思い出して決断できていたら?

「たら、れば」は何の意味もなさないけれど、レクイエム(鎮魂歌)なのかもしれませんね。

どこにも救いが見えない事件。

すべての人の心の痛みが少しでも救われる日が来ることを願わずにはいられません。




八日目の蝉は実話!あらすじ

幼少の頃、父の愛人だった女性・希和子に誘拐され、育てられた過去を持つ恵理菜。希和子の逮捕により、4歳の時に実の両親の元に戻った彼女だったが、誰にも心を開けないまま、大学生になっていた。そんなある日、自分が不倫相手の子を妊娠したことを知った恵理菜は、揺れ動く思いの中で、希和子と過ごした過去と向き合うように。引用元:moviewalker

永作博美さんが演じる主人公の『希和子』

井上真央さん演じるのは希和子に育てたられた子供『恵理菜』

2人を軸に様々な想いが交錯していきます。

一見、不倫からの憎愛劇かと思いきや「母性」がテーマのお話でした。

不倫相手の子供(恵理菜)を誘拐し、約4年間にわたり逃亡しながら育てた希和子の物語

誘拐事件の後、子供から大人になった恵理菜の苦悩や葛藤の物語。

と、2つの物語が、年代を前後しながら描かれています。

サスペンスかと思いきや愛情や家族といった背景からはヒューマンドラマのような感覚を受けます。

 

八日目の蝉は実話!「お詫びの言葉もありません」の意味を考察。

八日目の蝉の冒頭に

「お詫びの言葉もありません」と希和子が裁判で告げるシーンがあります。

しかし「謝罪なし」と記事でたたかれてもいました。

原作を読むとわかるのですが映画では端折られている部分があるのでわかりにくいんです。

端折られている部分を含めて解説していきます。

裁判で、裁判官に「具体的に謝罪したいことはあるか?」ときかれた希和子。

「自分の愚かな行動を後悔するとともに、子育ての喜びを味わわせてもらった秋山さん(夫婦)に感謝したい」と告げます。

感謝ではなく謝罪ではないのか?という裁判官の尋問への希和子の答弁が「本当に申し訳ないことをして、お詫びの言葉もありません」だったのでした。

恵理菜を誘拐してしまったことについてのお詫びの言葉でした。

映画だとセリフの前半が抜けてしまっているので「あれ?」と思ってしまいますよね。

彼女は「感謝」とも言っている。

衝動的な行動や、恵理菜を混乱させてしまうことへの謝罪なのは間違いありません。

母として恵理菜と過ごす時間を持てたことへの感謝を告げずにはいられなかったのかもしれません。

しかし、少しだけ違和感を感じたとするなら。

子供が可愛い盛りの大切な4年間を奪ってしまった事実。

「感謝」といいながらも、そこに計り知れない、希和子の哀しみが乗っかているようにも感じられるのです。




八日目の蝉は実話!エンジェルホームから逃げた理由

映画「八月の蝉」でエンジェルホームという施設が登場します。

希和子や恵理菜(この時は薫という名前)が、一時期、入所していました。

希和子たちがエンジェルホームから逃げた理由は「報道」です。

エンジェルホームは未成年の女の子が妊娠してしまったとき、親から逃げて駆け込み寺のように使える施設。

自給自足で自然食を作っていくなどの描写はありますが、なんとなく宗教団体のように扱われる立ち位置で描かれています。

『未成年の女の子』が親から逃げる先の施設という設定。

DVなどとは違うし、親側からしてみれば当然「違法」と言わざるを得ない。

入口で親御さんが抗議して叫ぶシーンもあります。

余貴美子演じる所長のエンジェルさんは、マスコミや警察等にホームを開放する意向を決めます。

希和子は、エンジェルさんに開放するのではなく、子供たちを一時的に親もとへと返してはどうかと言います。

エンジェルさんは『問題を抱え、親や世間から認めてもらえず助けを求めて来たメンバー達を見捨てる事になるからできない』と、かたくなに拒みます。

エンジェルホームに警察の立ち入りがあり報道されれば、希和子や恵理菜の姿が映ってしまう可能性があります。

どんな理由であろうと、世間から見たら希和子は誘拐犯であり逃亡者です。

映れば警察や秋山夫妻に見つかってしまう可能性が高かいことから、希和子は逃げ出すこと決意したのでしょう。

エンジェルホームでは愛称で呼ばれているので希和子はルツさん。恵理菜はリベカと呼ばれていました。

『わかるな? ルツさん(希和子)やったら。ルツさん(希和子)とリベカちゃん(恵理菜)に天使の慈しみが降りてきますように…祈ります」

と、エンジェルさんが希和子にささやいた直後、希和子たちはエンジェルホームから逃げました。

エンジェルさんは、希和子と恵理菜が本当の親子ではないこと、誘拐した犯人だということも気付いていたのでしょうね。

しかし、エンジェルホームを立ち上げている人です。

希和子の母性を感じて、二人の関係を見ていたからこそ、事情を察したのだと思いました。

希和子たちが逃げられるようにと。

自分は何も知らないという立場のまま、祈るように囁いたのでしょうね。



八日目の蝉は実話!小池栄子の正体。

小池栄子さん演じる千草の正体は、エンジェルホームで一緒に絵本を読んでいたあの子でした。

ラストでは、とても重要な役どころだと感じました。

本当の母親だと思っていた希和子が誘拐犯であったことへの行き場のない想い。

本当の両親のもとに戻ってもなじめない宙ぶらりんの不安定な自分。

年月が経っても埋めることができず、絶望感や不信感、虚無感で身動きの取れなかった恵理菜を救ったのは千草でした。

自分の存在に対しもモヤモヤとしっぱなしだった恵理菜に千草はホームでのことを語ります。

その言葉で恵理菜は少しづつ「母親として注いでくれた愛情」を思い出すんです!

ようやく、事件とも自分とも向き合うことができるようになります。

千草のあっけらかんとしたグイグイ来る雰囲気は小池栄子さんの持ち味とピッタリだなと思いました。

ラストシーンで、千草が恵理菜にむかって、赤ちゃんを「お母さんに見せに行こうよ」といいます。

映画では、この言葉が、希和子と恵津子どちらの母親に対しての言葉なのかは描かれていません。

最初、千草にとって恵理菜の母親は希和子しか知らないので、希和子のことかなと思いました。

しかし、私には、そんな単調なだけのシーンには思えなかったんです!

恵理菜に向かって「(母として)愛してほしい」と泣いた実の母、恵津子への気持ち。

「なぜ、誘拐なんて」と頭と心がちぐはぐに浮いてしまった育ての母、希和子に対しての気持ち。

私は、千草の登場によって、恵理菜はどちらへのわだかまりも解けたように感じました。

今の恵理菜にとって、何が正しいのかを考えても、何の解決も救いもなかった。

けれど、まぎれもなく『母としての愛情』を受けていたことを思い出せた。

自分も母になり、それだけで充分と思えたのかもしれませんね。

私には、千草もまた「正解や正しさの世界線」で生きていなかったからこそ、通じるものがあったように感じました。

いきなり近づいてきたような登場の仕方の千草でしたが、前に向かって進む恵理菜にとっても、希和子や恵津子にとっても、実は外すことのできない存在だったと感じました。



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